ひとり旅もいよいよ最終日となりました。
京都市内めぐり、スタートは今宮神社です。

参道脇には普通に民家がありました。
町家と狛犬がいい感じです。

訪れたのは九時頃でしたが、境内で時代劇のロケ中でした。
さすが京都~、と思って遠くから見ていました。役者さん・スタッフさんが大勢います。
参拝客が映り込まないようADさんが小走りでお願いして回っていました。
子役の子がガマの油を売っていました。
犬とトレーナーさんもいます。

本番なのでこの辺りから動かないで下さいと言われ、しばし狛犬を見ていました。
古びた感じと台を支える邪鬼(?)が私好みです。

西陣の八百屋さんの娘、お玉さんが徳川家光の側室となったのは、この神社の御利益という伝説もあるようです。玉の輿の語源だとか…。
私もtamaなので何かいいことあるかな。もう玉の輿というわけにはいかないけれど(笑)。

時代劇のロケで京都を感じ、次の目的地は今宮神社から歩いて十分くらいの船岡山にある建勲神社です。

途中に美しい塀と竹林がありました。
よく手入れされている普通ではないたたずまいだったので、調べてみると大徳寺でした。
納豆(大徳寺納豆)のお寺!と思い入り口を探しましたが、よくわからず、あきらめて船岡山を目指しました。

ここから階段をのぼっていくみたいです。
船岡山の名の通り、山ですから…、階段が前日の三輪山登拝で筋肉痛の脚にさらなる負荷を与えます。

境内図が案内のためというより、芸術的で美しいです。
天下統一・朝儀復興を進めた織田信長の偉勲を称え、明治天皇の御下命で創建された神社とのことです。
『たけいさおじんじゃ』が正式名称ですが、『けんくんじんじゃ』とも呼ばれているようです。

境内の狛犬の台座には織田家の家紋である木瓜(もっこう)が刻まれています。
桶狭間の合戦出陣に際し、信長が舞ったという「敦盛」の一節の歌碑もありました。

人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢まぼろしの如くなり 
ひとたび生を得て 滅せぬもののあるべきか 

織田信長は、生きて帰れるかどうかもわからない戦に臨み、この歌で自分を落ち着かせ鼓舞していたのでしょうか。
高校時代、日本史を勉強しましたが戦国時代には全く興味が持てず、戦で人がたくさん死ぬこの時代はむしろ嫌いでした。
戦国武将の関係性もよくわからず、誰がどこで何をしたか、実はよくわかりません。
戦というものは双方に守るべき正義があって、歴史としては勝ったほうが正義になるからなぁ…と思います(これを教えてくれたのは大人気漫画のワンピースです)。

この旅に出る前に、本能寺の変で織田信長を自害させた明智光秀の生涯について調べる機会がありました。
信長が天下統一のためにしたことの中には、それは人道的にどうなの?と思う所もあり、現代の感覚では光秀を逆臣、裏切り者と断罪できない気がします。
いろいろ複雑な気持ちで参拝しました。
下りは登りより息が切れないけれど、筋肉痛の太ももが私を支えきれるかな?転がり落ちたらどうしよう(笑)と思いながら下り、下りきった時はほっとしました。

二日目京都②・広隆寺、晴明神社に続きます。

最後までお読みいただきありがとうございました。