先日、高住神社→英彦山神宮奉幣殿→玉屋神社・鬼神社→鬼杉というルートを廻ってみました(高住神社から奉幣殿への移動は車です)。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため休校中の我が子にバディをお願いしました。
現役アスリートである我が子はさすがに身軽で、二人分の荷物を背負いながら山道をさくさく歩いていました。
メインのルートではないため、人に会うこともなく二人で大騒ぎしながら楽しく目的地に向かっていましたが、道がわかりにくい箇所があり何度か迷いました。
山を下りる予定時間が大幅に過ぎ食糧と水も底をつき、「遭難」の二文字が頭をよぎり、かなり焦りましたが無事に下山し、帰宅することができました。
山に入る前に、高住神社でも奉幣殿でも「無事に家まで帰れますようお見守りください」とお願いしていたおかげだと本気で思いました。
そのお礼をしたかったのと、高住神社がとても気になりつつ、その時はゆっくりできなかったので、あらためて訪ねることにしました。
文字通り、雲一つない青空です。
英彦山に向かう道路脇には、菜の花が満開でした。
日当たりのいい場所では、咲き始めている桜の木もありました。
気持ちよく高住神社前に到着したのですが、駐車場がいっぱいです。
そして、山伏姿の老若男女が。(これも文字通り、子どもから大人まで、あらゆる年代の男女の山伏でした。)
この前はガラガラだったのにどういうこと…?と、ひとまず通り過ぎ、奉幣殿に近い別所駐車場でU-ターンしました。
落ち着いてよく見ると、道路わきの駐車場だけでなく、その下の方にも駐車場があるようです。
案内の方もいて、ちゃんと停められました。
前回来た時は、とても冷え込んだ日で、参道の石のくぼみにたまった水が凍っていました。
それに比べ、今回はかなり春でした。
気温は別にして、澄んだ雰囲気、いわゆる空気が違う。
これが神域というものでしょうか。
参道です。
苔むした石の雰囲気がとても好きです。
参道の脇に張り紙がありました。
それによると、予定時間を変更するけれど護摩修法を行う…というような内容でした(うろ覚えですが)。
何も知らず、なんとなくこの日に来たのに、たまたま柴燈護摩修法の日!
ありがたい~。
嬉しくて、足取りが軽くなりました。
本殿です(一部画像を修正しています)。
柴燈護摩まで時間があるので、この前のお礼を伝え、気になっていることの報告とお願いをじっくりゆっくりさせていただきました。
本殿の中には大きな天狗の面がたくさん奉納されてあり、威厳があるけれど怖くはない、そんな感じでした。
小さめのカラス天狗の面が可愛かった。
高住神社狛犬コレクション(笑)。
狛犬好きの私にはたまらない、不思議可愛さ。
そうこうしているうちに、ほら貝の音がして、山伏たちが「六根清浄~」と唱えながら参道を上がってきました。
本殿前で整列し、お祓いを受けていました。
なにやら、火も受け取っていました。
何しろ初めて見るので、あれは何?これは何?と、とても興味深いものでした。
調べてみたところ、柴燈護摩は修験道独自の護摩儀礼だそうです。
野外に笹・荒縄・御幣束などで結界場を作り、その中央に丸太を井桁状に組み上げ常緑樹で被った護摩壇を構え、修法を行うのだそうです。
山伏が荒縄を剣で斬り、結界場に入り護摩壇の周りをまわっていました。
山伏問答、法斧の儀、法弓の儀など、思わず見入ってしまいました。
斧はフェイクに見えるけれど、きっと昔は本物だったんだろうな。
弓を林に向けて放ったときは、弦をいっぱいにひきしぼる緊張感と、そこから放たれた弓がきれいに弧を描く解放感がありました。
今年一年の国家安泰や、新型コロナウイルスの調伏を祈っていました。
護摩壇に火が点けられました。
しかし、火というより煙がすごい。
山伏たちはその煙の中、「般若心経」を途切れることなく唱えています。
あれ⁈神社で般若心経⁇
そうか、これぞ神仏習合!
歴史から消されそうになった神仏習合を体感させてもらいました。
煙で燻され、燻製になった気がしましたが(笑)。
お礼に来たのに、逆にいい経験をさせてもらいました。
なんて素敵な神社。
時間の都合で途中で失礼しましたが、通常は誰でも火渡り神事に参加できるようです。
大好き神社がまた一つ増えました。
奉幣殿にお参りする途中に満開のミツマタ。
優しい色合いが春らしいです。
今年中に上宮参拝したい。参拝するぞ。
最後までお読みいただきありがとうございました。