前回の投稿で月の話を書きました(こちらをご覧くださいhttps://bukulvsorakumo.com/yoaruki)。
日本の月の神様といえば月読命(つくよみのみこと、月読尊とも)。
古事記によれば、
火の神を生む時の大火傷で亡くなった伊邪那美命(いざなみのみこと)を追い、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は黄泉の国に行きます。
しかし、そこで変わり果てた妻の姿を見て恐ろしくなり、伊邪那岐命はこちらの世界に逃げ帰ります。
阿波岐原(あわきのはら)で禊をするのですが、その際、左目から天照大御神(あまてらすおおみかみ)、右目から月読命、鼻から建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)が生まれます。
この三柱の神様は、三貴子あるいは三貴神と呼ばれます。

第一子の天照大御神は末弟である須佐之男命の悪行ぶりに腹を立て、天岩戸に閉じこもり世の中を暗闇にしてしまいます。
やんちゃ坊主の末っ子須佐之男命は暴れまくって高天原を追放されますが、地上でヤマタノオロチを退治して一躍ヒーローとなり、櫛名田比売(くしなだひめ)と結婚し善神になります。
中間子の月読命は、姉弟とは違い、話題が豊富ではありません。
日本書紀では、月読命が姉である天照大御神のお遣いで大宜都比売神(おおげつひめのかみ、五穀豊穣の女神)を訪ねた際、女神がもてなしのため口からはき出した様々な食物を見て、『汚い』と激怒し女神を切り殺してしまいます。
このお話、古事記では須佐之男命が切り殺したことになっています。
須佐之男命の神話での暴れぶりを見ると、私としては須佐之男命犯人説推しです。
(ちなみに、日本書紀では三貴神の出生も古事記とは異なる記述です。)

さて、月読命ですが、夜の世界を支配する男神といわれています。
が、私の月のイメージはかぐや姫や御簾越しの高貴な女性なので、女神のような気がします…。
百歩譲って、あまり性別を感じさせない中性的なイメージでしょうか。
「月を読む」ということから暦と結び付けられるそうです。
そういえば、少し前に読んだ本に、
江戸時代において、一か月が始まる日、つまり一日の夜は明るかったか暗かったか。
というような話が書かれてありました。
旧暦は月の満ち欠けを基準にしているので、一日は新月、十五日は満月にあたります。
つまり、十五日は天候によって明るさが左右されるけれど、一日は月のない夜なので天候に関係なく暗かった、のだそうです。
なるほど~。
すごく気に入った話だったので家族にクイズのよう聞いたところ、「え?それがどうしたの??」というような顔をされました😅
最近のウォーキングは暗い時間にしているので、夜空を見上げて月の明るさを実感しています。
半月でもかなり明るいです。

たまたま図書館でこの本を見つけました(書影は版元ドットコムさんのものです)。
古事記・日本書紀に出てくる神様だけでなく、役小角(えんのおづぬ)や菅原道真など97柱の日本の神様を美しいイラストともに紹介している本です。
それぞれの神様のページに、『神様から贈られた心を満たすメッセージを紹介』する欄があります。
どの神様も興味深いのですが、どういうわけか月読命のページで手が止まります。
月読命のページには、

光のあるところには必ず影が存在します。(中略)光と影は表裏一体。影はすべてをふくみ、すべての生命の種もここに存在します。(中略)そこで生まれた新しい感覚、動機を信じましょう。

とありました。
月読命に心惹かれ、ウォーキングの時にも月を見上げていた時期は、私自身の心の闇というか、気づかないようにしていたけれど心の底にあったマイナスの感情に気づき、歩みを止めていた時期でもありました。
でも、その感情ときちんと向き合っている、不思議に冷静な自分がいました。
その感情を消してしまおうと躍起になったり、蓋をして隠してしまおうとは思わず、その感情も自分の一部と受け止め、また歩き始めています。

最後までお読みいただきありがとうございました。