麻賀多神社を参拝した際に(詳細はこちら→https://bukulvsorakumo.com/makata-jinjya)受けとった、

心正しきは滅ばず

というメッセージ。
以来、ずっと気になり考えています。
心正しいとはどういうことなのだろう…?

嘘をつかない
法律を守る
人を傷つけない…

いろいろ思いますが、しっくりきません。
例えば、子どもが初めてのことをする時に不安そうな顔をしているから、
「だいじょうぶ!」
と声をかけたら安心した顔になったけど、やってみたら結果的に大丈夫じゃなかった、という場合、それは嘘をついたことになり、心正しくない行いになるのでしょうか?
ひとを傷つけないようにしたことが、予想外に傷つけていることもあるはず。
心正しいって難しい…。

そんな時、ヒントを与えてくれる本に出合いました。

『マンガ もし世界が1つのクラスだったら』上・下です。
(書影は版元ドットコムさんのものを使いました。)

国を擬人化し登場人物にして、世界を一つのクラスに見立てた学園バトルマンガです(タイトルそのまんまや😅)。
主人公は高校生の日本くん。
幕末から第二次世界大戦終戦までの時代の流れ、各国の力関係や日本の立ち位置がすごくわかりやすく描かれています。
対象は中高生なのだろうけれど、充分に成長した大人の私も楽しみながらその時代を知ることができました。

私が高校生だった数十年前、幕末や明治時代は『試験に出ないから』、という理由で授業では流されていました。
当時の私からしても、まだ『歴史』になっていない少し前の出来事という感覚でした。
少し前の出来事というイメージでありながら、その時代についてほとんど知らないのが実情で、そのまま大人になりました。
第二次世界大戦については、小さな島国の日本が、自国の立ち位置もわからず軍部が暴走して戦争を始めた結果、原子爆弾を落とされて終戦、と思っていました。
いろいろな意味で日本が悪かったんだろう、と。
この本を読んで、あまりにも無知だった自分を知りました。
日本人でありながら、日本を知らなさ過ぎたと思いました。

この本の最後の方に極東国際軍事裁判の場面があります。
アメリカの筋書き通りに進んでいく裁判の中で、インドから選出された国際法の専門家であるラダ・ビノード・パール判事が被告全員の無罪を主張します。
この裁判そのものを、裁判の方向性が予め決められ判決ありきの茶番劇である、と批判しました。
英文で1275ページに及ぶパール判決書の一部には、
日本が「平和に対する罪」「人道に対する罪」を犯し、非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば、日本への原子爆弾投下を決定した者も裁かれるべきだ、との主張があります。
また、この判決書には、

戦争の勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない。

とも、書かれています。

勝ち残ったほうは正義として歴史に残るけれど、そもそも誰でも自分の中に自分の正義があり、どちらも大事なのではないでしょうか。
自分と違う正義は「悪」なのだと戦い、勝ったほうが正しいとする考え方から、人類はもう少し進歩してもいいのではないか、と近年特に思います。

自分が正しいと感じたことを、数の理論に屈さず伝えたパール判事の行動は、真の意味で『心正しい』のだと思いました。
自分の『得』のためではなく他者のためにした行い、それが「心正しく生きる」なのかなぁ、と方向性が見えた気がしました。
『得』ではないけれど、『徳』を積む。

このところ通い詰めていた靖国神社。
その境内の、遊就館近くにパール博士顕彰碑があります。

※パール判事は、戦時中に日本が捕虜や一般民衆に対して行った残虐行為を是としたわけではなく、戦争責任は日本にあるとしながらも極東国際軍事裁判のあり方に疑問を呈しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。